たまらない…エジプト遺物 その1
みなさんこんにちは!
株式会社DARIANを経営する隠れ中二病患者、岡本大助です。
このブログは僕が自分の中二病趣味を垂れ流す
完全自己満足スペースです。
さて、タイトルに書いた「エジプト遺物」。
2009年に日本初の常設館となる「古代エジプト美術館」が東京・渋谷にオープンし、マニアの間ではますます盛り上がり、中二病も広がっているようです。
今日はそんな中から一つ、「アメンエムオペト王の黄金のマスク」について。
国立カイロ博物館所蔵
1939年にデルタ地帯のタニスで第21王朝、第22王朝の墓が発見されました。
この墓は盗掘されていましたが、素晴らしい副葬品が数多く出土しました。この黄金のマスクも、その時に見つかった4つのマスクのうちの一つです。
プスセンネスの1世の息子、アメンエムオペト王のものです。
金の板を打ち出したこのマスクはメネス頭巾を被り、額には王家の印である聖蛇ウラエウスを付けていて、ビーズの幅広い胸飾りを着けた姿が彫り出してあります。
眉と目、アイラインの部分は色ガラスがはめ込まれています。 国力が衰えてきた第3中間期にあって、この黄金のマスクは最盛期の新王国時代の作品にも劣らない工芸品の一つに数えられています。
古代のものとは思えない、衰えない美しさを放つ黄金の輝きですね。中二病を、核心からくすぐられます…。
金の板を叩き出して贅沢に作られたこのマスクの眉や目、アイラインの部分には色ガラスがはめ込まれていて、当時の高度な工芸技術を垣間見ることができます。
今回はこの辺りで。
株式会社DARIANの岡本大助でした。
中二病心をくすぐる、オーパーツの数々
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さて、タイトルに書いた「オーパーツ」。
前回のヴォイニッチ手稿同様、ミステリー関係に興味がある人ならば聞いたことがある言葉かもしれませんね。
オーパーツとは「Out Of Place ARTifact」を略した「OOPARTS」のことで、直訳すると「場違いな工芸品」という意味になります。
発見された場所や時代にそぐわない技術、製造方法によってつくられた出土品で、有名なものだと「ナスカの地上絵」や「ストーン・ヘンジ」が挙げられます。
宇宙人の仕業だとかタイムマシーンが存在する証拠だとかさまざま憶測が飛び交っていて、中ニ病心をくすぐられます!
今回はそんなオーパーツの中から「水晶髑髏(クリスタル・スカル)」について。
水晶髑髏は世界で10個以上見つかっていて、そのほとんどが中南米で出土しています。
マヤ文明(紀元前3000年~1524年)やアステカ文明(1428年~1521年)、インカ文明(1438年~1533年)時代のものと言われているのですが、その時代にそぐわない高度な技術によってつくられているのが特徴です。
画像で見ても分かる通り、細部までとてもなめらかですよね。
当時の掘削技術でここまで綺麗につくるのは不可能であり、長年代表的なオーパーツとして誰が何のためにつくったのかと議論されてきました。
しかし2016年に入ってから、水晶髑髏は全て偽物であり本当は1900年代にドイツで製造されたものであるという説が浮上してきました。
とあるテレビ番組で水晶髑髏の細部を電子顕微鏡で見てみたところ、ダイヤモンド研磨剤で削られた後があり、その削り後とぴったり一致する土産物がドイツのイーダー・オーバシュタインで1900年代につくられていたというのです。
これによって水晶髑髏はねつ造だった!と主張する側といや、水晶髑髏はオーパーツだ!と主張する側で現在意見が分かれています。
僕としては、謎は謎のままであってほしいのですが…。
現代の科学技術をもってすれば多くのオーパーツの謎が暴かれてしまいそうですね。
もちろん、未だに謎の中にあるオーパーツもたくさんありますよ!
このブログでもちょこちょこ紹介していけたらと思います。
今回はこの辺りで。
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解読不能の奇書「ヴォイニッチ手稿」
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さて今回ご紹介するのは解読不能の奇書と言われている『ヴォイニッチ手稿』。
僕と同じく中二病患者の方なら聞いたことある人も多いはず!
このヴォイニッチ手稿は1912年にイタリアで発見された古文書です。
23.5cm×16.2cm×5cmの大きさで、約240ページの羊皮紙で出来ています。
ちなみに「ヴォイニッチ」は発見者の名前なんだとか。
この古文書が「奇書」と言われる所以はその異常性にあります。
ページにぎっしりと描かれた文字列は解読不能で、所々書いてある挿絵は植物や花を思わせる物が多いものの中には精子や浴槽に浸かる女性の挿絵があったり、不可解な物も多いことから何について書かれているか推測することができません。
これらの文字列はデタラメではなく一定の法則によって書かれていることから、どうやら自然言語か人工言語であるという研究結果は出ているものの、いまだ解読できた人はいません。
ヴォイニッチ手稿に使われている羊皮紙の古さを調べたところ、1404年から1438年に作られたものであることが分かっています。
作者については魔術師や錬金術師などさまざまな仮説が立てられていますが、どれも決定的なものではありません。
謎が謎を呼ぶヴォイニッチ手稿…。
中二心をこれほどくすぐる古文書もなかなかありません!
僕が生きている間に解読されてほしいな、なんて思います。
世界には中二心をくすぐるお宝がまだたくさんあります。
今後もどんどん紹介していきますよ!
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世界に存在する伝説の刀 その8
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『国宝 童子切安綱』
今回ご紹介するのは、その昔、丹波の国に住みついていた鬼である「酒呑童子(しゅてんどうじ)」の首を切り落としたといわれ、源頼光の愛刀である「童子切安綱」です。東京国立博物館に所蔵されています。
いやぁ、キレキレなのが写真越しにも伝わってきますねw
天下五剣の一つで、大原安綱が作ったといわれています。
【「酒呑童子(しゅてんどうじ)」退治のエピソード】
源頼光が、手下を引き連れて丹波大江山の鬼「酒呑童子」の首を切り落とした時の剣といわれています。酒呑童子退治の逸話とともに広く知られている剣です。
逸話によると頼光が手下とともに大江山に棲む鬼を退治するため向かい、途中で三人の翁(熊野、住吉、八幡)に出会いました。翁たちは、頼光たちに「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」、「打銚子(うちでうし)」、「星兜(ほしかぶと)」の3つを授けました。
「神便鬼毒酒」は、人が飲めば千人力の薬となりますが、鬼が飲めば飛行自在の神通力を失うといわれる酒です。また「打銚子」は神便鬼毒酒を入れるお銚子で、昔神世の時にこの銚子で酒を飲ませることにで鬼を平らげたといわれるものです。最後の「星兜」は、その昔、神軍が悪魔を退治する時に「正八幡大菩薩が召したるもの」であるといわれるものでした。
頼光一行は山道を進んで鬼が城に辿り着きました。そして山伏に化けて酒盛りを開かせて「神便鬼毒酒」を飲ませ、体を動かなくした、神殿で寝ていた童子の寝首を安綱の太刀で掻いたといわれています。首は頼光の兜に食らいつきましたが、十二枚張りの星兜により一枚だけ残し、頼光はなんとか無事であったといわれます。外にでると茨木童子が襲い掛かってきましたが、配下の渡辺綱がこれを倒しました。さらに石熊童子や星熊童子、虎熊童子なども退治したとわれています。
これよりのち、この安綱の太刀は「童子切安綱」と呼ばれるようになったといわれています。
世界には中二心をくすぐるお宝がまだたくさんあります。
今後もどんどん紹介していきますよ!
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世界に存在する伝説の刀 その7
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『国宝 七支刀(しちしとう)』
今回ご紹介するのは、古代倭王家に仕えた豪族物部氏の武器庫であったとされる
奈良県天理市の石上神宮に伝来した鉄剣「七支刀(しちしとう)」です。
この形状、何かしらで見たことあるでしょう?
心くすぐられますなあwww
七支刀は、石上神宮(いそのかみじんぐう)に伝来した古代の鉄剣。
その由来は早くに忘れられ、神宮ではこれを「六叉の鉾(ろくさのほこ)」と呼び、
神田にその年はじめて苗を植える儀式に神を降ろす祭具として用いていたと
いわれています。
1874年(明治7年)に石上神宮大宮司となった菅政友が、刀身に金象嵌銘文が
施されていることを発見し、剣の錆を落としてその銘文の解読を試みました。
以来、その銘文の解釈・判読を巡って研究が続いています。
七支刀(しちしとう)の名は、鉾に似た主身の左右から三本ずつの枝刃を出して、
計七本の刃を持つ形に由来すると考えられています。
『日本書紀』には七枝刀(ななつさやのたち)との記述があり、4世紀頃、
倭に対し百済が朝貢した際に献上されたものとされ、関連を指摘されているとか。
当時の中国との関係を記す現存の文字史料の一つであり、好太王碑とともに、
4世紀の倭に関する貴重な資料といわれています。
現在、七支刀は国宝として石上神宮に秘蔵されていて、一般公開はされていません。
最後に公開されたのは2015年。次に実物を拝めるのはいつになるでしょうね。
世界には中二心をくすぐるお宝がまだたくさんあります。
今後もどんどん紹介していきますよ!
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世界に存在する伝説の刀 その6
みなさんこんにちは!
株式会社DARIANを経営する隠れ中二病患者、岡本大助です。
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今回ご紹介するのは、「天皇の持つ武力の象徴『天叢雲剣』」です。
「あまのむらくものつるぎ」と読み、「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」との異名を持ちます。
「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と並んで、三種の神器の一つに数えられています。三種の神器の中で、天皇の武力の象徴であるとされています。
現在は、熱田神宮のご神体となっているようです。
実は、「天叢雲剣」は江戸時代に一度、神剣が入った櫃が古くなったので開封されたことがあるそうです。
その時に4~5人の神官が中を見たところ、櫃の中には赤土が入っており、その真ん中に布に包まれた剣があり、長さはおよそ85cm・全体に白っぽく・剣に錆はなかったそうです。
しかしその後、櫃の中の「天叢雲剣」を盗み見た神官は謎の病にかかり亡くなったそうです。
さすが、日本に伝わる霊剣!
不当に見ただけで死んでしまうとは・・・恐ろしいうえに最強ですね。
世界には中二心をくすぐるお宝がまだたくさんあります。
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世界に存在する伝説の刀 その5
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『岩に突き刺さった サン・ガルガーノの剣』
今回ご紹介するのは、「岩に突き刺さった サン・ガルガーノの剣」です。
伝説によれば、中世の勇敢な騎士である「ガルガーノ」が突き刺したといわれています。
堕落した生活を嫌うガルガーノは、ある日、大天使ミカエルから「物欲を捨てよ」という啓示を受けたそうです。
しかし、人は平和な世では堕落してしまうもの…。ガルガーノは、大天使ミカエルに向かって答えました。
「それは岩に剣を突き立てるくらい困難なことだ」
そうして岩に剣を突き立てたところ、なんと岩がチーズのように柔らかくなり、ズブズブと剣が岩に刺さったとか。
その後、ガルガーノは神の声に従って、剣の上にモンテシエピ礼拝堂を建て、祈りの日々を過ごしたとか。
しかしこの話は、「アーサー王伝説」に登場する「岩に刺さった剣」を、真似て作った話だと言われていました。
しかし、2001年に放射性炭素年代測定法で測定した結果によれば、アーサー王伝説が世に広まった1200年代よりも古い、1100年代に作られた岩と剣だと判明しました。
まあ正確な年数まではわかりませんから、誤差100年くらいだったら、どっちが先なのかわかりません…。
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